一般財団法人 山本美香記念財団(Mika Yamamoto Memorial Foundation)

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2019年6月6日
第6回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」奨励賞受賞・大川史織さん 受賞の言葉

 戦火のバグダットで取材をした山本美香さんの現地ルポに、こんなエピソードがある。緊張状態が続く中、現地で暮らす人が山本美香さんを勇気づけようと、日本の歌を聴かせる。思いがけない土地でふるさとの歌を聴いた山本美香さんは、イラクと日本と戦争が、どこか深いところでつながっていると感じる。
 このエピソードに触れたとき、イラクとマーシャル諸島が、私の中でつながった。
 はじめてマーシャル諸島を訪れてから12年。島で耳にする歌は、私の知らないマーシャルと日本と戦争とのつながりを、いつも感じさせる。

 75年前のマーシャル諸島ウォッチェ環礁で、補給路が絶たれた敗戦までのおよそ2年間、約4000人の兵士は自給自足生活を強いられた。当時を詳細に綴った記録は、佐藤冨五郎さんの日記以外に残されていない。日記は自分のために、遺書は家族宛てに書いたと記しているが、援軍の助けが来ないとわかってからは、ここで見聞きしたこと、感じたことを伝えようという冨五郎さんの秘めたる決意を感じる。時空を超えて、日記をつないだ人たちの想いに惹かれた人々と、映画と本を編んだ。父の日記を読み解きたいと強く願ったご子息勉さんの想いと行動が、あらゆる縁を手繰り寄せた。その結果、山本美香さんの意志を受け継ぐバトンをいただいたことを心から光栄に思う。

 現在のマーシャル諸島は、砲弾が飛び交い、銃声が聞こえるような紛争地ではない。
 「癒しの楽園」とでも呼んでしまいそうな、美しい海に囲まれた島々である。
 しかし、マーシャルに「戦後」はない。
 30年に及んだ日本統治、アジア太平洋戦争、「戦後」1年から67回繰り返された核実験、ミサイル実験場、海面上昇による沈没の懸念…。平均海抜2メートルの島に押し寄せる高波は家や墓を飲み込み、ヤシの木より高く積み上がったゴミとともにさらっていく。3年前まで「天国にいちばん近い島」だと思っていた離島の砂浜に漂着したゴミを、毎週土曜日に島民が「総動員」で拾っているという。
 「戦争が終わったあと、『総動員』で日本人と一緒に変わり果てた島の掃除をしたようにね」と。

 初監督作となった映画『タリナイ』を藤岡みなみプロデューサーと作り、劇場公開できたことを心から幸せに思う。映画を観て、本をつくる決断をしてくださったみずき書林の岡田林太郎さん、日記を読み解き、本を編んだ仲間に巡り会えたことも。
 これからも、さまざまな表現の可能性を模索しながら、マーシャルと、世界と、つながり続けていきたい。

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