一般財団法人 山本美香記念財団(Mika Yamamoto Memorial Foundation)

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2023年5月15日
第10回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」 決定

一般財団法人山本美香記念財団は、4月30日に行われた第10回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」の選考会の結果、本年度は本賞に2作品の顕彰を決定。下記の受賞者に贈呈することといたしました。

<本年度の受賞者および対象作品>

ジャーナリストの宮下洋一氏(47)による著書
「死刑のある国で生きる」
(新潮社)
宮下洋一氏 受賞の言葉

宮下洋一氏プロフィール : 1976年長野県生まれ。ウエスト・バージニア州立大学卒。バルセロナ大学大学院で国際論修士、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話し、フランスとスペインを拠点としながら世界各地を取材。著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』(小学館ノンフィクション大賞優秀賞)、『安楽死を遂げるまで』(講談社ノンフィクション賞)、『安楽死を遂げた日本人』(以上、すべて小学館)、『ルポ 外国人ぎらい』(PHP新書)などがある。

朝日新聞記者・ルポライターの三浦英之氏(48)による著書
「太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密」
(集英社)
三浦英之氏 受賞の言葉

三浦英之氏プロフィール : 1974年、神奈川県生まれ。朝日新聞記者、ルポライター。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞、『南三陸日記』で第25回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』で2021LINEジャーナリズム賞を受賞。

本年度受賞者および対象作品

第10回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」
〇ジャーナリストの宮下洋一氏(47)による著書、
「パ死刑のある国で生きる」
(新潮社)

〇朝日新聞記者・ルポライターの三浦英之氏(48)による著書、
「太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密」
(集英社)

最終候補作品

〇嘉山正太氏 「マジカル・ラテンアメリカ・ツア-」
(集英社インターナショナル)

選考委員
岡村隆(編集者、探検家)、笠井千晶(ドキュメンタリー監督、ジャーナリスト)、河合香織(ノンフィクション作家)、髙山文彦(作家)、吉田敏浩(ジャーナリスト)

選考委員選評

宮下洋一氏 「死刑のある国で生きる」
コロナ禍のなか、アメリカ、フランス、スペイン、日本での取材を行った労作だ。どうしても結論ありきな死刑について、加害者、被害者双方の視点から、フラットな立場から描いていくことで、読者に自分自身の問題として考える材料を提供していく。著者の美点は「わかったふり」をしないことだ。だからこそ、「なぜ」と幾度でも問い続けられる。立場によって、そして国によって正義は変わる。答えは一つではない問いを追求していく真摯な姿勢に、背筋が伸びるような思いがした。

三浦英之氏 「太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密」
日本が遠くアフリカでつくりだした歪み。それを一身に受けたままの残留児たち。歴史の「空白部」に置き去りにされたその存在。この知られざる事実を掘り起こし、残留児たちのアイデンティティーをめぐる悩み、貧困や差別による心の傷、日本人父親への複雑な思慕、厳しい環境をくぐってきた生の航跡を、丹念な取材で光を当てた。著者は新聞社に属する組織ジャーナリストだが、その利点に安住したわけでなく、これが個人としての問題意識から始めた取材の成果を少しずつ積み重ねた末の「執念の一冊」である。

授賞式 日時:5月26日(金) 18時より
場所:日本記者クラブ
※入場は報道および関係者のみ。取材希望のメディアは当日、会場にて受付けを行ないます。

<選評> 岡村 隆

 今回の選考会もまた、候補作に甲乙つけがたい秀作が並んだために議論が長引き、最優秀作品を一作に絞ることができなかったことから、二作同時の授賞となった。

 まず、テレビ番組等の撮影コーディネーターとして中南米各地を取材した嘉山正太氏の『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー』については、著者自らがメキシコ在住であることから、とくに後半の移民問題の取材と考察に自己を投影した深みがあり、問題の背景や移民の人生を多方面から考えさせる訴求力には優れていた。しかし他の部分では取材する個々の事象への掘り下げや具体的データの提示を避けた「印象記」の趣きが強く、ジャーナリズム作品を対象とする賞の趣旨からは外れるのではないかという結論に落ち着いた。

 次に、宮下洋一氏の『死刑のある国で生きる』については、死刑制度という重いテーマを、あらかじめ固定の立場から取材するのではなく、とにかく現場の声を、という趣旨で世界各地を飛び回って取材しようとしたフラットな姿勢が、まず評価された。その中で、実際の死刑囚、加害者、被害者の家族、死刑現場や死刑制度に関わる人々の声を、各地で多角的に拾い集め、自分の心の揺れ動きを媒介にして『死刑制度はあるべきか、あらざるべきか』と読者に考えさせることに成功している。その半面、著者がこのテーマを追った背景には、自身が在住する西欧先進国社会の、いわゆる人権思想などの価値観が、この多様な世界で唯一の普遍的価値なのかという疑問や違和感があって、それを解き明かすための一方便として「死刑制度の是非」の問題を取り上げているという構図があり、そうした「裏テーマ」の存在ゆえにか、たとえば関心の高い「冤罪」の問題をあえて外している点などに疑問が呈された。しかし、コロナ禍の移動困難な時期に果敢に間隙を突いて世界を駆け巡り、取材を続けたジャーナリストとしての姿勢と成果は素晴らしく、受賞作から外すべきではないという結論になった。

 また、三浦英之氏の『太陽の子』は、世のほとんどの人が知らない、しかし知れば大きな問題を孕むことが分かる事実を、精密に取材し、発掘して知らしめる仕事をしたという意味で、ジャーナリストの王道に則った作品として評価された。著者は新聞社に属する組織ジャーナリストだが、その利点に安住したわけでなく、これが個人としての問題意識から始めた取材の成果を少しずつ積み重ねた末の「執念の一冊」であるという点でも私は評価し、受賞作に推した。ただ、選考過程では、日本企業の従業員らがアフリカの現地に置き去りにした子供たちだけでなく、置いて行かれた「現地妻」の女たちについても取材を深めてもらいたかったという声や、取材全体に優れた日本人の先導役がいたこと、本来なら自身の動きではなく「残留児問題」に深く関わるその人の人生や視点、活動を通してこのテーマを追うべきではなかったか、といった意見が出されて、単独授賞には至らなかった。

 目前に出現したテーマを追うジャーナリストの、問題意識の表し方、自らの動きと視点の据え方など、三冊の作品から私自身も多くを考えさせられた選考会であった。

<選評> 笠井千晶

 受賞した2作品について、まず「死刑のある国で生きる」(宮下洋一さん)については、海外に拠点を置くフリーランス記者として、言葉の壁を感じさせない取材スキルを生かし、ぜひ今後も国際的な活躍を期待したい。
 応募作の本書については、欧米と日本で死刑に関わる様々な立場の当事者達の肉声を通して、死刑の実態を知ることができる良書だと感じた。死刑制度が、社会の中で生身の人が関わる制度として運用されていることが、胸に迫ってきた。また情報公開が進んだアメリカとの比較によって、間接的にではあるが、日本の死刑制度の密室性について改めて考えさせられる内容になっていた点を特に評価したい。デリケートな感情を抱える当事者たちに、真摯に向き合う筆者の取材姿勢にも非常に好感を持った。
 一方、登場する日本の取材対象者について、なぜそのケースを選んだのかという理由を明確に記して頂きたかった。また本書は死刑制度について、「被害者の処罰感情に応えうるか?」「望むか、望まないか?」といった個人の感情に重きをおいた観点で語られているが、死刑は国家の法に基づく刑罰であり、感情によってのみ是非を判断するだけでは不十分だと感じた。また欧米であれ日本であれ、制度の存廃を語るのであれば、死刑冤罪の問題については少なからず言及すべきだと思うが、本書の中で敢えて冤罪という視点を排除した理由を明らかにして頂きたかった。

 次に「太陽の子」(三浦英之さん)については、新聞記者という立場ではあるが、紙面掲載を見送られた中で、取材を諦めずに続け、書籍として世に出された点を評価したい。なぜ朝日新聞が掲載を見送ったのかについて、できれば本書内でその理由を詳しく書いて頂きたかった。
 応募作の本書については、一般的に知られていない、アフリカに生きる日本人の血を引く子ども達の存在に光を当てた点には、大きな意味があると思った。コンゴ在住の日本人の全面的な協力を得られたことで、一人一人の当事者にくまなく直接取材を行い、取材に応じた子ども達の実情を明らかにした丁寧な取材姿勢を高く評価したい。子ども達の「生の言葉」を日本に紹介したことが、この本の最大の功績だと思う。また日本語のできない彼らが知る由もない父親側(日本側)の関係先の事情を、筆者が当事者に代わって訪ね歩いたことは、長年存在を忘れられていた彼らにとっても少なからず救いとなったのではないかと推察する。
 一方で、子ども達の両親であるコンゴ人女性と日本人男性との関係について、「結婚」と断定されていたが、そこに少なからず疑問はなかったのだろうかと気になった。何人かの母親たちの年齢が当時13歳だったとあるが、日本でのいわゆる「結婚」と同等に扱うことには違和感を感じた。国連が「児童婚」の改善を呼びかけている現状からすれば、13歳で結婚させられた事実は問題視されるべきだと考えられ、本書の中でもその点を、より多くの母親達に取材を試みるなど掘り下げて頂きたかった。

<選評> 河合香織

 選考を通して、ジャーナリズムとは何か、ジャーナリストに必要なものは何かを改めて考えさせられた。それほどに、選考会は白熱し、選考が終わった後に流れたバーでも候補作について語り合った。
 最終候補作の『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー』は南米のコーディネータとして働く著者の視点が大変面白く、語り口も軽妙だ。ただ、最終候補となった他作に比べるとジャーナリズムというよりは、エッセイ的な要素が強いのではないかということで意見が一致した。
 受賞作となった2作は共に、これまで是か非か、正義か悪かといった二項対立で捉えられがちであった問題を、卓越した取材力に裏打ちされたペンの力で今一度考えさせ直させる力をもった作品である。
『太陽の子』は、アフリカの日本人残留孤児を描いたルポだ。日本企業が進出したコンゴで、日本人と現地の少女が「結婚」し、生まれた子どもたちがいた。著者は会える限りの子どもたちを訪ね歩き、さらに母親たちや関係者などの声を聞き取っていく。秀逸だと感じたのは、人間は社会や制度の中で思考を形成するものだという視点を背景に、安易に断罪しない姿勢だ。誰かの正義は、別の人にとっての不正義になり得る。絶対的な正しさは、善はあるのか。問い続けていく姿勢に心打たれた。
『死刑のある国で生きる』は、コロナ禍のなか、アメリカ、フランス、スペイン、日本での取材を行った労作だ。著者は英語、フランス語、スペイン語など語学堪能で、さらにフットワークも軽い。どうしても結論ありきな死刑について、加害者、被害者双方の視点から、フラットな立場から描いていくことで、読者に自分自身の問題として考える材料を提供していく。著者の美点は「わかったふり」をしないことだ。だからこそ、「なぜ」と幾度でも問い続けられる。立場によって、そして国によって正義は変わる。答えは一つではない問いを追求していく真摯な姿勢に、背筋が伸びるような思いがした。
 ここが良かった、あそこはもう少し踏み込んでほしかったという選考では議論は、すべてが自分自身の取材に向き合う姿勢に返ってくる言葉だと感じた。受賞作を仰ぎ見ながら、もう一度、他者の言葉を誠実に伝えることの重みを考えてみたいと思った。

<選評>照らし出すもの 髙山文彦

 2作同時授賞に同意したのは、宮下洋一氏の粘りづよい取材活動と、今回のテーマにかける熱意に肯首せざるを得なくなったからである。
 宮下氏は死刑のある国(アメリカと日本)と廃止した国(フランスとスペイン)を自分の足でめぐり、理想(理念)と現実とのあいだに生じたいびつなギャップを真摯に世に問うており、こうした死刑制度の是非をめぐる国際的ルポルタージュは日本人ジャーナリストとして最初のものではなかろうか。
 アメリカでは執行目前の死刑囚との面会を実現させ、目を洗われるような対話を得たかと思えば、フランスでは職務質問のさなか警官が相手を「現場射殺」するという矛盾の増大に接して思いまどう。こうした事実の発掘とそのたびごとにおこる同氏の心の動揺は、そのまま「国家と個人」という極めて現代的な問題を浮き彫りにしている。
 ボーダーレスな〝ある存在〟として宮下氏がとらえようとするのは、あるいはハイデガーの『存在と時間』のようなテーマではないかと思うようになった。道徳と刑罰と許しを国家に与えられる個人とは、いったい何者なのか。ルソーの言う「自然状態」からますます人は乖離し、マルクスの言う「労働商品」「労働再商品」にすっかり組み込まれながら、それにも気づかぬようすで、情念的賛成論を大声で語る日本人のなんと多いことか。ヒューマンネイチャーを「法の支配」によって減殺されながらも、いまやそれが当然の帰結として受け容れている個人は、宮下氏の自問自答をむず痒く思うだろう。
 しかしながら、国家における悪の増大と個人における善の縮小は今後もさらに進み、やがて液状化するであろう近未来において、宮下氏の仕事は大きな意味と価値をもって迎えられることだろう。

 私が推したのは、三浦英之氏の『太陽の子』であった。同作には初回投票で選考委員全員が「〇」をつけた。ところが、文句なしの授賞だったかというと、そうではない。
 本作は、アフリカのコンゴ民主共和国(当時はザイール)に鉱山開発のためにやって来た日本鉱業とその下請け労働者たちが、現地の13歳から17、8歳くらいまでの女性とねんごろになり、夫婦生活をしながら子をもうけ、撤退時に置き去りにしてきた、知られざる問題を扱っている。フランスのTV局やBBCが「嬰児たちを日本人医師が殺した」と報道するにおよんで、三浦氏はその根拠の開示を求めて動きまわり、日本人遺児たちをインタビューし、日本でも会社関係者にあたっていくのだが、遺児たちの存在を認めようとしない。
 それでも最終的に同社から「人道的立場から支援する」との声明を引き出すに至り、ひと通りの取材を終える。
 歴史の闇に隠されてきた問題をよくぞ書いてくれたという一点、そしてアフリカに造詣の深い三浦氏だからこそ書けたという一点において、本作をいちばんに推した。
 しかし、その書きぶりにおいて、承服しかねるところがある。まず取材者の「私」を主人公とする物語構成になっている点。なぜ現地に長く暮らし、遺児たちの世話をしてきた田邊好美氏を主人公に据えなかったのか。佐野浩子シスターも同様に重要人物なのであるが、彼らのこれまでの行動と目を通して、遺児たちの存在に光を当ててほしかった。
 遺児へのインタビューはあるが、母親へのインタビューが手薄。日本にいる父親へのインタビューは皆無。また、「結婚」というけれど、はたして13歳の娘に結婚という近代的概念は存在していたのか。
 三浦氏の頭にはコンラッドの『闇の奥』があるらしく、「私」の新しい「闇の奥」を書こうとなさったのだろうと推察するが、力がはいりすぎて、ナルシスティックな歯の浮くような比喩や表現が散見され、「私」の物語として成功しているとは言いがたい。
 取材者の「私」の露出は不可欠ではあるだろう。であるならば、なるべく過剰な露出を控え、本来主人公であるべき人の姿をしっかりと描くことによって(BBCから「削除」の回答を得たのは田邊氏である)、これからも遺児たちとつながって生きていくその人に神の光を当ててほしかった。
 それでもなお本作は、資源に恵まれぬ日本の資源獲得への無軌道なまでの熱情について歴史的に描かれ、高度経済成長の搾りかすのような悲運の子どもらの存在と非人情な日本人の存在を知らしめることができた。

嘉山正太氏『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー』は、寝転がって気楽に楽しめる読み物だ。メキシコに住んで、撮影コーディネーターとして、TV局やジャーナリストから仕事のオファーによって、現地を案内する。危険なところへも行く。軽みのある書きぶりは天性のものだ。
 しかし、あしたある娘が村を離れ難民になろうとしているのに、同行して国境を越えようとはしない。入口の手前で見送る人なのである。ジャーナリストの自覚をもって書かれたのでもないし、本賞の主旨から外れている。次作を読みたい誘惑にかられる。

<選評> 吉田敏浩

『太陽の子』 三浦英之
 アフリカ中部のコンゴで、かつて日本の鉱物資源企業が巨大な銅鉱山を開発した。後に事業は頓挫し、企業は撤退。そして取り残されたのが、その企業や建設会社などの日本人労働者と現地のコンゴ女性との間に生まれた子どもたちだった。
 アフリカ特派員の著者はこの知られざる事実を掘り起こし、残留児たちのアイデンティティーをめぐる悩み、貧困や差別による心の傷、日本人父親への複雑な思慕、厳しい環境をくぐってきた生の航跡を、丹念な取材を通して刻む。
 事実の確認を拒む日本企業の保身、それと対照的に残留児に寄り添うコンゴ在住の日本人支援者の献身、西洋の対アフリカ植民地支配の苛酷な歴史、民族対立と独裁と内戦に苦悶するアフリカの現実なども描き込まれ、立体的、重層的な作品に仕上がっている。
 経済成長のため、海外の資源獲得に走った日本が、遠くアフリカでつくりだした歪み。それを一身に受けたままの残留児たち。歴史の「空白部」に置き去りにされたその存在に、光を当てんとする心願の書だ。

『死刑のある国で生きる』 宮下洋一
 死刑は存続されるべきか、廃止されるべきか。考えはじめると、思考の迷路に入り込むような気がする。答えを見いだしがたいこの死刑問題に、フランス在住のジャーナリストである著者は根気強く向き合い、死刑のあるアメリカと日本、死刑のないフランスとスペインでの取材を積み重ねる旅に出た。
 死刑囚とその家族と支援者、殺人被害者の遺族、弁護士、政治家、刑務所職員、警察官など、当事者とさまざまな関係者へのきめこまかなインタビューの集積は、もしも自分が死刑囚やその家族、殺人被害者の遺族といった当事者の立場におかれたら、死刑についてどう考えるだろうかとの、自問自答をうながす。
 著者は、死刑制度の是非はそれぞれの国・社会の歴史、文化、価値観などをふまえて、一人ひとりが判断すべきもので、ただひとつの答えがあるわけではなく、死刑を廃止したヨーロッパの考え方を普遍的な尺度としてあてはめる必要もないと、バランスのとれた見方を示す。その結論にいたるまでの、丁寧な取材のプロセス、心の揺らぎ、内省なども織り込まれた叙述が、説得力をもたらしている。死刑という難問を前に考えあぐねる読者に、深い気づきを与えてくれる一冊だ。

『マジカル・ラテンアメリカ・ツア-』 嘉山正太
 メキシコ在住の撮影コ-ディネ-ターとして、ラテンアメリカの懐深く分け入る取材を重ねてきた著者ならではの、肌で感じた人間理解、庶民の哀歓、内戦・移民・ギャングといった社会問題の断面などが、印象深くつづられていて共感を覚えた。
 ただ、それぞれの題材が断片的、総花的に並んでいて、求心力に欠ける難点がみられた。たとえば、走る列車の屋根に乗ってアメリカ国境をめざす中米各国の移民たちに、食料を手投げで渡すメキシコの女性ボランティア・グル-プを、より掘り下げて描くなど、さらなる記録・表現の深まりを期待したい。

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