一般財団法人 山本美香記念財団(Mika Yamamoto Memorial Foundation)

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2024年5月15日
第11回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」受賞・酒井聡平さん 
受賞の言葉

 知ってしまった者の責任―。戦争の不条理を戦地から報じ続けた山本美香さんは、その責任を果たす信念を貫いた。そんな希代のジャーナリストの遺志を継ぐ財団から栄誉ある賞を賜り、身が引き締まる思いだ。

 2006年、硫黄島で戦死した父の遺骨を探し続ける遺児と出会った僕が知ったこと。それは終戦を迎えたはずの日本の戦争が今も終わっていない事実だ。戦没者2万人のうち1万人の遺骨が本土に帰れないでいる。終戦とは戦闘の終了に過ぎず、戦禍は終わらないのだ。硫黄島は戦争を繰り返さないための歴史的教訓が刻まれた島なのだ。教訓を次世代に伝える一助になりたい。そんな思いで拙著「硫黄島上陸」を記した。

 戦後、遺骨収容が進まなかったのはなぜか。島全域が日米の軍事拠点となり、ジャーナリストを含む民間人の上陸が原則禁止されたからだ。1万人の未帰還問題は、政府が国民の視線を遮断し続けた結果だ。

「兵士たちを本土に帰したい。報道するだけでなく、僕自身も硫黄島の土を掘るんだ」―。その志を成すため転職もした。政府派遣の遺骨収集団の一員として認められるまで13年かかった。上陸後、わずかな骨しか見つからない謎に直面し、1年かけて日米の公文書を調べた。元兵士や遺族らの証言を集めた。これらは土日などの私的時間を使った。だから土日の僕は所属会社ではなく「旧聞記者」の名刺で取材している。

 最新のニュースを追う新聞記者の激務をこなしながら「旧聞記者」を続けるのは正直大変だ。現在、別の戦禍を取材しているが時間的、体力的に限界を感じることは少なくない。

 伝えることで戦争をなくす―。そんな信念のもと、めげず、ひるまず、迷わず取材を続けた山本さん。今回の受賞を機に、恥ずかしながら出身地が僕と同じ北海道だと知った。ご健在だったら地元紙記者としてインタビューしたいと切望した同郷人だった。その夢のインタビューは、残念ながら永遠に叶わない。が、今後、僕が何か大きな苦難に遭い、戦争を伝える志を諦めるかどうか迷いが生じたら、心の中でインタビューしようと思う。「山本さんなら、どうしますか」と。

 天国から返ってくる答えは、一つしかない。